ブランド作成により、ビーフンが時代に追いつき国際化へ──老鍋ビーフン

2019.05.15

新竹ビーフンの起源は1858年まで遡ります。元々は福建でビーフンを生業とした郭泉四兄弟が海を渡って台湾に来た後、新竹・大南勢の集落にやってきて、稲を多く産出する客雅渓の川が作り出す地層、新竹特有の季節風を利用してビーフンを作りだしたことに由来します。全盛期は1970年代であり、ビーフン工場は120軒に達し、川床いっぱいに多くのビーフンを日に晒していたことから、ビーフンは新竹の特産となりました。「老鍋米粉」の現責任者は郭泉系譜の六代目子孫であり、150年以上にわたり祖先が興した事業を引き継いでいます。郭氏の神髄に従い、お米を選り抜くことから始め、19もの複雑な工程を経ることが必要です。

しかし食品の世界は絶えず進歩し、更にはインターネット時代の到来により、製品の販売チャネルは旧来の販売モデルだけではなくなりました。よって、「老鍋米粉」は近代化された設備の導入を行い、「興僖食品公司」を設立し、企業経営に取り組んでいます。また作業工程の標準化により、ビーフンの生産を安定させました。1999年、老鍋米粉は全国初となる「ビーフン博物館」の開設に取りかかります。伝統産業を盛り上げ、民衆に新竹のビーフン産業の文化に対する認識を深めてもらうため、ビーフンに関する史料、機具の発展等を展示し、これまでの来館者は累計で数十万人に上ります。2002年には更に一歩進めて「老鍋休閒農荘」を設立し、観光客に自らビーフンを作ってもらい、レジャーにおいて食農教育を実施しています。

現代の生活の求めに応じ、製品の内容と分量を変更

「老鍋米粉」という名称と知名度は常に有しているものの、シリーズを識別する統一されたビジュアルを作成していないので包装はバラバラであり、一貫性と識別のしやすさに欠けていたため、統合が必要でした。この点を改善するため、2016年に「老鍋米粉」は「TGAブランド指導プラン」に参加し、「ATSAI Brand Design」の協力によるブランドイメージ形成という状況のもと、老鍋米粉は虎に翼の如く製品の品質に全力で取り組みました。

老鍋米粉は時代の流れに追いつくには製品を積極的に改良すること、すなわち製品の品質を追求することと確信します。そこで指導プラン期間、老鍋米粉は既存の製品である「お湯を注ぐタイプのインスタントビーフン」の改良に力を注ぎました。純米ビーフンに天然野菜を練り合わせ、タロイモ、クロレラ、ニンジン、カボチャ、ホウレン草、ゴボウ、トマト等の十数種類の味を開発しました。お湯を注ぐだけで、午後の一息、仕事が忙しい時、睡眠前の空腹解消等にかかわらず、多忙な会社員に手軽で負担をかけずに美味しく栄養の補給が行えるので、現代人の暮らしを豊かなものにします。

家族形態の多様化により、三世代同居が徐々に小家族や単身世帯に変わっていきます。「老鍋米粉」と「ATSAI Brand Design」は討論の末、様々な要望に応えるため新たに容量40グラムの製品の追加を決定し、一人でも繊細なビーフンを味わうことができるようにしました。それと同時に、小家族、大家族、グループが調理するのに適した各規格のものを提供します。

産業文化と重要地域を融合させたデザインで、ビーフンを世界へ普及

「ATSAI Brand Design」のブランドプランは、文化の根底と素朴な優雅さに富んでいます。ビーフンは台湾で発展したという流れを汲み、版画の手法を用いて新竹の重要地を表わしています。例えば、伝統的な信仰の中心である城隍廟、台湾鉄道新竹駅、迎曦門等です。そして、その中に食材のイラストを挿入することで、ビーフン産業と新竹の地の融合を表わしています。さらに篆書体による文字を使用した印鑑のような「純米粉」の三文字を組み入れ、また「1858」、「百年風味」を強調させています。旧来のものから脱け出して新たな姿をもたらし、「老鍋米粉」の歴史が地位を築くことが期待されます。

「老鍋米粉」は「ATSAI Brand Design」に授権し、2017年後半に老鍋米粉の新たな姿が「台北国際食品展」において明かされました。全体イメージの向上により、焼きビーフンの無料試食イベントは非常に盛況となり、インターネット及び市場での販売チャネル契約を立て続けに獲得しました。今もなお、シンガポール、ベトナム、マレーシア、アメリカ、日本等の国に輸出されており、新竹ビーフンの国際普及は成功し、顧客の信頼を獲得しています。